hirausan

死ぬまでにやったこと

昼夜逆転を逆転することについに成功した

ここ10年くらいおよそずっと夜型だったのだけれど、今年の9月頃からどうも鬱っぽくなってきた。このままリニアに悪化していくとなると、2015年まで辿りつけないだろうと確信して、とりあえず朝型になおしてみようと試してみた。結論からいうと簡単だった。


ただ観測範囲が悪いだけなのか、それは一先ずおいといて、情報がほぼほぼ画一化されてしまったネットにだいぶ飽きていた。ベッドの中でスマホでネットサーフィンするのがただの習慣だったことに気づくのに時間は一秒もかからなかった。したがって寝室にスマホを置かなければ良いわけだが、これがなかなか難しい。少しでも眠れないと退屈に我慢できなくなってすぐに取りに行ってしまう。歩数の分、余計に目が覚めてしまう。

OSXを10.10にアップデートしたのは良かった。Handoffのお陰でリモートでSMSを送受信出来るので自宅ではiPhoneを触ることがなくなり、しかもそれがどこにあるのかわからない状況まで作ってくれた。

しばらくするとコンピュータを触ってるのもなんか面倒になってきて、BSでも見てゆっくりすることが多くなった。ところがBSもだんだんつまらなくなってきたので、一時は廃人になりかけて寸止めで解約したHuluを復活させてAppleTVも買った。今では海外ドラマとディスカバリーチャンネル漬けになっている。リビングでないと情報が入らないという環境が大事なんだろうなと思った。

番組は切れ目がはっきりしていて寝るタイミングを逸しない。これが終わったら寝ようと決めたらきちんと履行できる。一方ネットは入眠の敵だ。リンクを8回でも辿れば世界のあらゆるページに辿りつけそうな気がする仕組みのせいで一段落といったものが全く用意されていない。これ読んだら寝ようとか思ってもお節介な関連リンクが価値の無い想像力をかき立ててくる。ハイパーリンクとはよくいったものだ。1ページはとても短いので、次こそ読んだら寝るの繰り返しとなって朝どころか昼を迎えてしまうこともある。眠りつけないタイプの不眠症で悩んでるやつは今すぐ全ウェブブラウザをアンインストールするか死ぬのがいいと思う。


次に概日リズムのリセットを遵守した。朝、陽の光を浴びるというもの。どれだけ眠れなかったとしても朝日は浴びたほうがいい。夜型が朝日を浴びてしまうとなんとなく余計狂ってしまいそうな感覚があったのだがどうやらそれは誤りだったらしい。大幅にズレていることをまず体に理解させ続けることが重要みたいだ。朝日を浴びてそこから寝るだけでも良いような気がする。僕の場合は5時とかに寝ても、8時に無理やり起きてベランダに出て意味ないけど退屈だから大文字山に敬礼したり太極拳の真似とか、向こうから見たら階段を下ってる人みたいなしょうもないことしながら申し分なく浴びてそのまま寝るのを繰り返した。次第に浴びたあと眠りづらくなってきて、面倒だからそのまま起きるようになった。一時的に睡眠時間は短くなってしまったが、緩やかに睡魔の気配を夜の時間に感じられるほどになった。こんな感覚、何年ぶりだろうか。このあたりからうまくいけそうな気持ちになっていった。


あれだけ昼夜逆転していた自分がとうとう、夜は何気なく自然に眠り、自然に起きられるようになった。1日は短くなってしまったが充実しているような気がする毎日だった。街で生きている実感がしてとても嬉しく感じていたわけだけれど、いいことばかりでも全然なかった。生産性は著しく落ちたし充実していた気分も無根拠で実際はちっとも充実していなかった。何かに強い興味を抱くと眠れなくなるような気がして頭を働かせることを無意識的に忌避している気がする。何事も面倒に、無意味に、退屈に感じるようになってしまった。本当はぼけーっとしてるんだけどせめて受け答えははっきりするよう心がけて、無気力をなるべく悟られないようにした。まるでスシローの寿司に溶けこもうとするスイートポテトになったような気分だった。そろそろ諦めたいけどもう少しだけ続けてみようと思う。

ちかごろは

モソモソしてるくらいであんまり動いていない。phaや1041uuuに誘われた熊野も台風のせいもあって結局行けずじまいだった。一方で進めていた企画は間もなくローンチできそう。


これはいずれやってみたいなあとか思ってたことだったのだけれど、いざ作っていくうちに本当に自分のやりたいことだったのかなあとか考えてしまったり、いや、やっぱ全然そうじゃないよねってことに気づいたり、気づかないふりしながら損切りする気にもならずに納得いくまでとずるずる巧遅に進んでいる。本当にやりたいことなんてものはそもそもないのかもしれないのかなあとか考えだすと、本当にその通りな気がしてきてうわーどうしようってなって、大体どうでもよくなって寝てしまう。


年をとると気持ちを維持するのがこれほどまでに困難なのかと驚いている。だいたい人は、成果やあるいはそれを収めた自分に惹かれるだけであって、過程についてはなかなか純粋には楽しめないものだ。頂上に到達することを目的とした登山に似ていて、目線が高くなってきたりとかフィードバックで刺激される期待を楽しいと錯覚しているだけでそれらを除くと山道は至ってつまらない。


猪突猛進で余計な情報を得ないことで錯覚したままであればやってのけるのだろうが、大人になるにつれて掛かった時間と残る道程、残りの体力といったものから色々と勘定できてしまう。ドーンと行こうやといった気持ちをずっとは保てず、かといってもうダメかもわからんねとあっさり諦めることもできず、サンクコストとかはあんまり考えないことにして悪い考えが過ぎ去るか、満足できるようなアイデアが浮かぶまで考えるくらいか、あるいは忘れるくらいしかなかったりする。


かつては割と楽しめたはずのネットやアニメ、漫画や本といった単純快楽でさえ、済と書かれたラベルを貼る作業に思えて面倒臭さを感じるようになってしまった。面倒から逃れても退屈を呼んでぐったりするしかないので、なんとなく外に出て誰かと会ったりして明るい気持ちになって充実したなあとか思っても夜がくれば、いや特になんもなかった一日だったでしょと全部ひっぺ剥がされる感じがある。山賊の娘ローニャは次の第3話を観てたぶん脱落してしまう。

とても眠くて

なぜだかわからないんだけど無気力がやばい。まるで動く気配がない。なにをするにも面倒くさいと感じる反面、退屈に気づくと「無意味な人生だから星1つ」といった恐怖に襲われる。うーん、困った。いっそ食パンでもいいから注意を奪い続けて欲しい。齧ってはやめたりしてそれを繰り返して眠くなったらパン種になりたい。それなのに企画をきちんと進めてる自分とても偉い。とりあえずめっちゃ元気になることオラショオラショしてる。

新品の汚いFREITAGを新品の様に綺麗にした

フライターグのバッグを手に入れたのだけれど、めっちゃ汚い。どのくらい汚いかというとまるで廃棄するトラックの幌の生地を使ったくらい。いやそうなんだけど。


新品でも大体このくらいは汚い
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そして臭い。店員がいるお店で見ても、きったねえなあって連呼してしまうくらい。トラックの幌やシートベルト、自転車のチューブなど、廃棄素材を最大限使用することをコンセプトにしているそうなので仕方ないのではあるけど、それを知らない人が見れば、橋の下であの鞄と共に捨てられていて、中に母子手帳と哺乳瓶が入っていたんだろうなと想像されても仕方ない。個人的には汚いのは好きじゃないので頼むから新品素材を使って欲しい。形や色味を気に入ってるだけに本当に惜しい。こういったコンセプトを理解できずにFREITAGを持つなんて滑稽だとかいう人がいたけど、値札付けて売ってるからにはたかだか商品なわけで、それを誰がどう思って使おうと勝手だ。加えていうとその値段も結構高い。これで3万円以上する。新品生地を使ったほうが安くできるんだろうなと疑ってしまう。リサイクル素材を探すのも大変らしいがそのために消費されるエネルギーは果たして釣り合うのかも気になる。


そこで、新品にしてみた
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激落ちくんで水研ぎすると、もともと付いていた汚れが綺麗に落ちる。上と下を見比べればその違いは明らかだ。際限なく擦りすぎるとターポリン生地に入ってるグラスファイバーが浮いてくるのでいささか注意が必要。



綺麗だけどマットな質感になる
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乾かすとこのような具合。激落ちくんはいわばメラミンフォームのヤスリなので、汚れはしっかり落ちるのだけれどコーティングも剥がれてFREITAGらしい光沢は失ってしまう。奥の青色のバッグと見比べるとよく分かる。



光沢を復活させる
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マットな質感が好みでなければ、光沢を復活させる方法がある。蝋引きやワックス引きなど色々試した結果、ビニール床対応の高光沢の床用ワックスが良かった。アクリル樹脂だから触り心地もスベスベせず少し引っかかりのあるテカテカした質感になる。うーん、でもマットもよかったな。


ここまでのことをやって初めてリサイクルと呼ぶべきだと思う。ボロをボロとしてありがたがる人を見るたびに現代なんだなあと感じる。


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