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hirausan

死ぬまでにやったこと

ちかごろは

モソモソしてるくらいであんまり動いていない。phaや1041uuuに誘われた熊野も台風のせいもあって結局行けずじまいだった。一方で進めていた企画は間もなくローンチできそう。


これはいずれやってみたいなあとか思ってたことだったのだけれど、いざ作っていくうちに本当に自分のやりたいことだったのかなあとか考えてしまったり、いや、やっぱ全然そうじゃないよねってことに気づいたり、気づかないふりしながら損切りする気にもならずに納得いくまでとずるずる巧遅に進んでいる。本当にやりたいことなんてものはそもそもないのかもしれないのかなあとか考えだすと、本当にその通りな気がしてきてうわーどうしようってなって、大体どうでもよくなって寝てしまう。


年をとると気持ちを維持するのがこれほどまでに困難なのかと驚いている。だいたい人は、成果やあるいはそれを収めた自分に惹かれるだけであって、過程についてはなかなか純粋には楽しめないものだ。頂上に到達することを目的とした登山に似ていて、目線が高くなってきたりとかフィードバックで刺激される期待を楽しいと錯覚しているだけでそれらを除くと山道は至ってつまらない。


猪突猛進で余計な情報を得ないことで錯覚したままであればやってのけるのだろうが、大人になるにつれて掛かった時間と残る道程、残りの体力といったものから色々と勘定できてしまう。ドーンと行こうやといった気持ちをずっとは保てず、かといってもうダメかもわからんねとあっさり諦めることもできず、サンクコストとかはあんまり考えないことにして良くない考えが過ぎ去るか、満足できるようなアイデアが浮かぶまで考えるくらいか、あるいは忘れるくらいしかなかったりする。


かつては割と楽しめたはずのネットやアニメ、漫画や本といった単純快楽でさえ、済と書かれたラベルを貼る作業に思えて面倒臭さを感じるようになってしまった。面倒から逃れても退屈を呼んでぐったりするしかないので、なんとなく外に出て誰かと会ったりして明るい気持ちになって充実したなあとか思っても夜がくれば、いや特になんもなかった一日だったでしょと全部ひっぺ剥がされる感じがある。山賊の娘ローニャは次の第3話を観てたぶん脱落してしまう。

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