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14年2月の質問と回答まとめ

雑記 ハウツー ビジネス インターネット ASK.FM

ASK.FMで2月に答えたものからいくつか選びました。


キキは何故一時空を飛べなくなったのでしょうか?


井の中の田舎育ちが都会に出て、劣等感や嫉妬心に打ちのめされたことじゃないでしょうか。自分は空っぽだと思わせる描写が嫌という程ありましたね。特にキキの能力は、本人も「血で飛ぶの」と言っていた様に努力して手に入れたものではなく、単に用意されていたものです。物語終盤、恐らくキキにとっては初めて出来ないことに挑戦します。見事成果を収めますが、ジジの声は戻りません。見るからに幼児性を暗示する魔法(或いは思い込み)が不要になったことは、退行して力を取り戻したのではなく、きちんとその次へと成長したことを担保する表現でしょう。これで安心して眠れます。両親への手紙は蛇足です。


今更ですが、Googleストリートビューのプライバシー問題についてひらうさんはどう思いますか?


日本の住宅事情が問題だと思います。確かGoogleは道路をパブリックな空間だと言ってました。アメリカの住宅は建物と道路の間に広い庭があり、公私が三階層に切り分けられています。一方で日本の都市部の住宅は狭いだけではなく庭もありません。道交法違反にも関わらず鉢植えを居並べたりすることからわかるように公的空間とは捉えにくい環境や文化なのではないでしょうか。話は逸れますが、ストリートビューについては賛成です。現在は最新のデータのみを閲覧できますが、将来は蓄積した過去データも公開されると思います。遡行性のタイムマシンになるわけですね。Oculus RiftやGoogle Glassみたいなデバイスと組合せるととても面白そう。
(Oculus Rift= 広い視野角と、首の動きに映像が追随するHMDデバイス。Google glass=HMD型ウェアラブルコンピュータ)



何故JRPGは衰退したのでしょうか?


技術の進歩によって、JRPGたらしめる慣習が陳腐化したことが原因の一つだと思います。かつてのファミコン時代は自機・敵機など各オブジェクトの性質を「刺のあるものは触れてはいけない」といった子供でも理解できる低次元な記号で表現していました。HPやLVであったりと比較的高次元のそれが登場するJRPGは、なんだか大人向けで優れた印象があったはずです。しかし技術が進歩すればするほど、等身キャラがターンを待ってる姿や不合理なお使いイベントに、間抜けさや不自由さを含めた違和感を覚えるようになりました。一方、ACTは進歩を正統に享受できたので、より自然に、自由に進化したのはないかと思います。制限の中で生まれた擬似的なリアリティから、制限を取除いた結果だと思います。TRPGに戻りましょう。

(JRPG=国産のコンピュータロールプレイングゲーム ACT=アクションゲーム TRPG=テーブルトークRPG)


LINEの新事業についてどのように考えていますか?



僕は使ってないので詳しくないのですが、LINE電話については収益性ではなく囲込み強化が目的なんじゃないですか。ユーザが一部被ってそうな楽天でんわに向けて堰を建てたいのでしょう(LINEはパケット方式っぽいですが)。今時固定電話に掛ける機会はそれ程無いでしょうけど、通話機能を例外なく集約できるのは魅力だと思います。電話よりクリエーターズマーケットの方が関心がありますね。40種類のスタンプを作るという壁もさることながら審査も厳しいのではないでしょうか。クリエータ系のドロップシッピングサイトもそうですが、クリエータ周りだけがはしゃいで一般には浸透しないこともあるので、その辺りをどうやるのかなと思ってます。
(楽天でんわ=楽天が提供するアプリとその通信サービス。パケット通信ではなくフュージョン・コミュニケーションズの回線を使用する。LINEクリエーターズマーケット=自作のスタンプを販売できるLINEプラットフォーム上のサービス。)




最近、何もかも無意味に感じて無気力です。ひらうさんはそう思いませんか?


確かに無意味ですね。ただしそれは長期的に見た場合に限定した話じゃないでしょうか。それであれば、錯覚なので安心してください。例えば、テレビの電源コードが短くて困ったとしても50年後は明らかに無意味です。しかし今、延長コードが不要かといえばそうとも感じませんよね。やっぱりテレビを見るためには必要です。こうした目の前で起こるものこそ意味や価値と捉えるべきじゃないでしょうか。期間を将来に広く設定した評価はそれらをみるみる矮小化します。「映画なんて観たって終わるんだから觀なくていいじゃん」と言ってるのと同じことです。見ている最中の価値が全く評価されないのは評価として妥当ではありません。ーーとは言っても無気力にもなるよね。やー、僕も一緒ですよ。



「天才とは99%の努力と1%の才能」なんて言葉がありますが、ひらうさんは努力と才能についてどう考えていますか?


残念ながら僕は天才でもなければ発明の父でもないのですが、凡人も天才も努力はあんまり関係ない気がします。Aにとても詳しい人はA’との差分に気付きますが、殆どの人はどちらを見てもAと言います。この様な視点を持つ人のことを、凡人は天才と呼ぶのではないでしょうか。努力を必要とするのは成果を上げる際に限定した場合です。試行回数が増えれば増えるほど全体の成功率は高まります。努力よって新たな視点も見つけうるとは思いますが、それは天才ではなく努力家ですね。凡人を救っているであろう、この口当たりの良い言葉は、成果を出さなければ天才ではないといった誤った常識が前提にあるのではないのでしょうか。一体天才ってなによ!



磯野家はカツオ以外全員陰湿とツイートされていましたが、特にそのような印象を与えるエピソードがあれば教えて下さい。

陰湿と言ったのは縮約しすぎだったかもしれませんね。サザエさんは見るからに一昔前の村社会です。それも磯野家を中心に置いたスター型のネットワークです。磯野家に関する噂だけは半端ない速度で拡散されていきますね。波平の親切な行動を隣人が目撃した翌る日には「磯野くん聞いたわよ!お父さんのこと!」と無関係のクラスメイトが群がってきます。各々がステレオタイプな振舞いをするのも構造を保守する役割として生きる為の不文律の様に映ります。一方でそんな周囲にいつも困惑しているカツオが得意とする、相手の気持ちを深く思慮した正しい行動については大抵トラブルとなって咎められます。彼はあの世界で唯一の現代人なのではないのでしょうか。



ひらうさんにとって幸福とはどのような状況、環境のことですか?

幸福にも色々ありますが最たる理想を述べれば、能力を発揮して何かの役に立つ状況が継続していることですかね。発揮すればするほど次回の難易度が上がっていくのがなんだか忍者の麻を飛び越える修行に似てますね。能力の限界を知って途方に暮れれば、諦めて次の幸福(例えばのんびり暮らすとか)をあたっていくんじゃないかなあ。そんなの実際は我慢できない気がするけどそれは受け入れるしか無いのかなと思ってます。結果が出せないなら死んだほうがマシみたいなある種の強迫観念は、加齢とともに少しだけ寛解してきた気がしますね。よかった。

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