hirausan

死ぬまでにやったこと

ニュースサイトをつくった - sign

ネットに飽きてきた。サーフィンなんてとてもじゃなく、波打ち際で湿った砂を触ってる程度だったりする。近頃はまとめや、ニュースサイトを巡回するくらいしかネットを見なくなったのだけれど、それだってつまらない暇つぶしか、あるいは話を合わせるために義務感で見ているような気さえしている。加えていうとニュースサイトは大体読みにくい。3カラムの窮屈なレイアウトもさることながらバナー広告の乱れ打ちや、記事リンクの行列に精神がみるみる擦り減っていく。広告ブロックのアドオンを有効にしても、明らかに広告があっただろう余白が気になって仕方ない。ビジュアルを画一化してくれるRSSリーダも管理が面倒くさいし、そこは違うだろみたいなスタイルを当てられたりもする。そこで、きわめて衛生的でストレスを与えないデザインで、記事内容についても主体性があり概ねまともな切り口で、不愉快な即席的記事のないサイトがあれば今よりいいなと思ったんだけれど、多分無いだろうし探すのが面倒くさかったからとりあえず自分で作った。

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http://sign.jp

サイト名についてはGMOがやってるJPドメインオークションで字数の少ないものを探していたら『sign.jp』をみつけた。25万円くらいだった。兆しや示し、記しといった意味を含むのでニュースサイトにはマッチしているし、404とかエラーレスポンスはロゴを『sigh』とかにして、芸が細かいとか言われたいなとか思ったり、惹句をSign Is Good Notice.とか、いわゆる再帰性頭字語(笑)にしたらピッタリじゃね?とか思った。もっとも、会社の所在地が『西院』の駅に近いというのが決め手だったんだけど。



記事のレイアウトは、自分の好みを思いっきり反映した。急にZや、あるいはコの字だったりダイナミズムはあるのだけれど、パターンは多くなく余白も充分に確保しているので、まともな脳みそを持ってさえいれば学習を要することなく自然に正しく目線移動ができるはず。これは表層的な見栄えだけでなく、本文や補足情報などのテキストが持つ性質を、一瞥するまでもなく判断できる機能的役割もある。読み手は既知の情報など不要なものを無意識で弁別して読み飛ばすことができるだろう。


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テキストのDIV幅は最大で820px(45文字程度)という敢えて大きな幅を設定した。たとえばウェブページだとバナーを載せたい理由もあるだろうけど600px台、実用書などの書籍だと一行につき大体30文字程度に抑えるのがセオリーだったりする。横方向の目線の移動が大きくなって疲れる原因にはなるんだけれど、そもそもカルチャー性の高いサイトをだらだらと読むときは、作業や調べ物を行うときに比べて目とモニタの距離は少し離れるものだ。モニタのドットピッチの違いを考慮した上で概ね50cm程度の距離で読む環境を想定してフォントサイズも大きくとった。取り扱う記事の性質を考えると横文字が頻出するが、これによって禁則処理に引っかかった不愉快な折り返しも低減される。2カラムのレイアウトもそれぞれ余白をきちんと確保できるメリットもある。



モバイルサイトも軽視せずに注力したが小さなディスプレイでダイナミズムを表現するのにはなかなか苦労した。PC版とは逆にテキスト幅を小さくして画像幅を100%で大きくとったり、ページ最下部の関連リンクがパララックススクロールで露出するような動きをつけたりとにかく色々盛り込んでおいた。なかでもメニューがとても気に入ってる。開閉時は大きくわけて5種類のアニメーションが同時に展開されるのだけれど、GPUに処理をまわすのでネイティブアプリっぽい。この振る舞いの仕様を実装担当に口頭で説明するとやっぱり伝わらなかったので、アニメーションを動画で作って伝達したら滅茶苦茶捗ったので今後はすべてそうしようと思った。


はじめは遊びのつもりだったはずが、試算するとランニングが結構かかることがやっぱり見えてきて、割とちゃんとやらなきゃいけないっぽい雰囲気になってしまい少し面倒くさくなった。コンセプトにはじまり、デザインなどフロントエンドの設計、ライターの求人や教育、ガイドラインの策定。バズればアクセスもエラいことになるのでオートスケーリングや死活監視などインフラ周りも必須。なるべく早めに取材記事を据えたいので東京にも活動拠点を設ける準備をしていたりと、2ヶ月でリリースする予定が、5ヶ月余もかかってしまった。


公開して2日が経った。直前までクローラをブロックしていたため、Googleにまともにインデックスされてはいないが既に1000RT超の記事が出たりと割とうまくいきそうな気はしている。しかしマネタイズは広告くらいといった今のところ直近で行えるものは乏しく、仮に1記事あたりの平均コストが5000円だとすると、損益分岐点はその概ね10倍の5万PV/記事までのぼる。サイトの認知度の低い間はなかなかつらそうだ。おかげさまか資本は割とあるのでしばらくはさまざまな投資に徹して様子をみよう。かくして編集長になってしまったわけだけれど、責任とか面倒なのでさっさと誰かに押し付けたいと思っている。



よかったらご覧になって記事とかシェアしといてください。
http://sign.jp


追記

やはり失敗した

からだがずっとかゆい

近頃のネットは人が多くて疲れるから現実に逃げ込んだのだけれど、やっぱり毎日面倒くさい事が降りかかってくる。嫌になってHulu復活させて海外ドラマに逃げたのだけれど、ドラマ内でも矢継ぎ早に面倒なことが起こるから見れば見るほど余計ストレスが育っている。

今年の春からやたら身体が痒くなった。痒くてなかなか眠れず、痒みで起きることもあった。瘡蓋だらけになった。病院に行ったら医者に「パンツ」って言われて、意味がよくわからなかったから他の病院に行った。慢性蕁麻疹だと言われた。急性ならまだしも慢性だと原因は特定できないそうだ。


爪で掻くと血だらけになったりするので、なんかもっとこう、ソフトなのないかなあと探してみるとクレジットカードがとても良かった。さすがに割れたりしたら再発行とか面倒なのでPontaカードを作った。

昼夜逆転を逆転することについに成功した

ここ10年くらいおよそずっと夜型だったのだけれど、今年の9月頃からどうも鬱っぽくなってきた。このままリニアに悪化していくとなると、2015年まで辿りつけないだろうと確信して、とりあえず朝型になおしてみようと試してみた。結論からいうと簡単だった。


ただ観測範囲が悪いだけなのか、それは一先ずおいといて、情報がほぼほぼ画一化されてしまったネットにだいぶ飽きていた。ベッドの中でスマホでネットサーフィンするのがただの習慣だったことに気づくのに時間は一秒もかからなかった。したがって寝室にスマホを置かなければ良いわけだが、これがなかなか難しい。少しでも眠れないと退屈に我慢できなくなってすぐに取りに行ってしまう。歩数の分、余計に目が覚めてしまう。

OSXを10.10にアップデートしたのは良かった。Handoffのお陰でリモートでSMSを送受信出来るので自宅ではiPhoneを触ることがなくなり、しかもそれがどこにあるのかわからない状況まで作ってくれた。

しばらくするとコンピュータを触ってるのもなんか面倒になってきて、BSでも見てゆっくりすることが多くなった。ところがBSもだんだんつまらなくなってきたので、一時は廃人になりかけて寸止めで解約したHuluを復活させてAppleTVも買った。今では海外ドラマとディスカバリーチャンネル漬けになっている。リビングでないと情報が入らないという環境が大事なんだろうなと思った。

番組は切れ目がはっきりしていて寝るタイミングを逸しない。これが終わったら寝ようと決めたらきちんと履行できる。一方ネットは入眠の敵だ。リンクを8回でも辿れば世界のあらゆるページに辿りつけそうな気がする仕組みのせいで一段落といったものが全く用意されていない。これ読んだら寝ようとか思ってもお節介な関連リンクが価値の無い想像力をかき立ててくる。ハイパーリンクとはよくいったものだ。1ページはとても短いので、次こそ読んだら寝るの繰り返しとなって朝どころか昼を迎えてしまうこともある。眠りつけないタイプの不眠症で悩んでるやつは今すぐ全ウェブブラウザをアンインストールするか死ぬのがいいと思う。


次に概日リズムのリセットを遵守した。朝、陽の光を浴びるというもの。どれだけ眠れなかったとしても朝日は浴びたほうがいい。夜型が朝日を浴びてしまうとなんとなく余計狂ってしまいそうな感覚があったのだがどうやらそれは誤りだったらしい。大幅にズレていることをまず体に理解させ続けることが重要みたいだ。朝日を浴びてそこから寝るだけでも良いような気がする。僕の場合は5時とかに寝ても、8時に無理やり起きてベランダに出て意味ないけど退屈だから大文字山に敬礼したり太極拳の真似とか、向こうから見たら階段を下ってる人みたいなしょうもないことしながら申し分なく浴びてそのまま寝るのを繰り返した。次第に浴びたあと眠りづらくなってきて、面倒だからそのまま起きるようになった。一時的に睡眠時間は短くなってしまったが、緩やかに睡魔の気配を夜の時間に感じられるほどになった。こんな感覚、何年ぶりだろうか。このあたりからうまくいけそうな気持ちになっていった。


あれだけ昼夜逆転していた自分がとうとう、夜は何気なく自然に眠り、自然に起きられるようになった。1日は短くなってしまったが充実しているような気がする毎日だった。街で生きている実感がしてとても嬉しく感じていたわけだけれど、いいことばかりでも全然なかった。生産性は著しく落ちたし充実していた気分も無根拠で実際はちっとも充実していなかった。何かに強い興味を抱くと眠れなくなるような気がして頭を働かせることを無意識的に忌避している気がする。何事も面倒に、無意味に、退屈に感じるようになってしまった。本当はぼけーっとしてるんだけどせめて受け答えははっきりするよう心がけて、無気力をなるべく悟られないようにした。まるでスシローの寿司に溶けこもうとするスイートポテトになったような気分だった。そろそろ諦めたいけどもう少しだけ続けてみようと思う。

ちかごろは

モソモソしてるくらいであんまり動いていない。phaや1041uuuに誘われた熊野も台風のせいもあって結局行けずじまいだった。一方で進めていた企画は間もなくローンチできそう。


これはいずれやってみたいなあとか思ってたことだったのだけれど、いざ作っていくうちに本当に自分のやりたいことだったのかなあとか考えてしまったり、いや、やっぱ全然そうじゃないよねってことに気づいたり、気づかないふりしながら損切りする気にもならずに納得いくまでとずるずる巧遅に進んでいる。本当にやりたいことなんてものはそもそもないのかもしれないのかなあとか考えだすと、本当にその通りな気がしてきてうわーどうしようってなって、大体どうでもよくなって寝てしまう。


年をとると気持ちを維持するのがこれほどまでに困難なのかと驚いている。だいたい人は、成果やあるいはそれを収めた自分に惹かれるだけであって、過程についてはなかなか純粋には楽しめないものだ。頂上に到達することを目的とした登山に似ていて、目線が高くなってきたりとかフィードバックで刺激される期待を楽しいと錯覚しているだけでそれらを除くと山道は至ってつまらない。


猪突猛進で余計な情報を得ないことで錯覚したままであればやってのけるのだろうが、大人になるにつれて掛かった時間と残る道程、残りの体力といったものから色々と勘定できてしまう。ドーンと行こうやといった気持ちをずっとは保てず、かといってもうダメかもわからんねとあっさり諦めることもできず、サンクコストとかはあんまり考えないことにして悪い考えが過ぎ去るか、満足できるようなアイデアが浮かぶまで考えるくらいか、あるいは忘れるくらいしかなかったりする。


かつては割と楽しめたはずのネットやアニメ、漫画や本といった単純快楽でさえ、済と書かれたラベルを貼る作業に思えて面倒臭さを感じるようになってしまった。面倒から逃れても退屈を呼んでぐったりするしかないので、なんとなく外に出て誰かと会ったりして明るい気持ちになって充実したなあとか思っても夜がくれば、いや特になんもなかった一日だったでしょと全部ひっぺ剥がされる感じがある。山賊の娘ローニャは次の第3話を観てたぶん脱落してしまう。

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